第7回 なぜか新潟(2)



 海を見て、誰かが「泳ぎたい」と言い出した。僕としては、海で泳ぐつもりはまったくなかった。だいたい泳ぐ用意は、なにもしてきていない。しかし、そんなことはおかまいなしに、ふぢわら、たいきの2人は、さっさと服を脱いで、下着1枚で海の中へ。僕はさすがに遠慮。しゅーへいも遠慮・・・かと思ったら、海で泳ぐ2人を見て、刺激されたのか、「おれも泳ぎたくなってきちゃった」と言い残し、海へ。浜に1人取り残されてしまった・・・。





 ふと、まわりを見渡すと、海で泳いでいるのは、子どもが2、3人とこちらの3人だけ。さすがにシーズンオフである。しかも、その子どもたちもすぐにいなくなり、海で騒いでいるのは、3人だけに。傍から見ていて、とても滑稽であった。





波に流されるたいき


 1時間ほど泳いでいただろうか。海から上がった3人は、そのままの格好で車のところまで、200メートルほど歩く。途中、高校生くらいの女の子2人組の後ろを通る。しばらく行ってから振り返ると、変な目をして、こっちを見ていた。いったい僕らをどう思っただろうか。

 車の中(ちょっと外?)で着替え、次はギターを持って、再び浜へ。テトラポッドの上に座り込み、日本海に向かってギターを弾く。このとき、一番やばかったのは、間違いなくしゅーへい。完全に自分の世界に入り込み、ミスチルを熱唱し、アストゥリアスを熱演する。その様子は、何かに憑かれているようだった。




思い思いにギターを弾き、歌う3人


日本海に向かってサンバーストを弾く筆者


 1時間半もギターを弾き、腹も減ってきた。今の時間は1時半。今日中に横浜に帰るためには、もうそろそろ出発しなければならない。わざわざ10時間もかけてやってきた新潟を、たった3時間ほどいただけで、後にした。恐ろしく無意味である。

 みやげとして、地酒を酒屋で買い、国道を南へ向かう。「そばフェチ」を自称する僕としては、ぜひとも昼食にそばを食べたかったのだが、そば屋が見つからず、結局うどんに。今回の旅の唯一の心残りである。そして、この昼食後、今回の旅で最大の危機が訪れた。

 今まで10時間以上運転してきたが、眠いと思ったことはなかった。しかし、腹がふくれたせいか、運転中ひたすら眠い。人間おなかがいっぱいになると眠くなる、ということを痛烈に感じた。しかも、同乗の3人がぐっすり眠り込んで、話し相手もいなくなり、一人で睡魔と戦っていた。1回5秒ほど意識が飛びかけたが、なんとか無事だった(少し休めよ)。

 寝ないように、ユニコーンや井上陽水を歌いながら運転を続けること4時間余り、湯沢にさしかかり、たいきお勧めの銭湯(?)に到着。この銭湯、1000円で、簡易宿泊場や仮眠室もついているという代物。1時間くらい休憩をとった。運転に疲れた身としては、本当に生き返る心地だった。お勧めである。

 風呂に入り、復活したあとは、たいして眠くもならず、夜の三国峠を快調に越え、関東地方入りを果たした。こういった山道の運転が、自分でも最近だいぶうまくなってきたと思う。

 なるべく早く帰りたかったので、本庄児玉ICから関越道に乗り、鶴ヶ島から圏央道に突入し、入間で降り、一気に16号へ。圏央道はいつ行ってもガラガラで、お勧めである。この日なんか、ほとんど視界に1台もいなかった。ちなみに、関越にもっとはやく乗らなかったのは、単にお金をケチったため。1900円しかかからなかった。

 この高速の利用が功を奏して、予定よりずっとはやく、午後11時過ぎに、大和市のゆーき邸に到着。しかし、旅はここで終わりではなかった。少し休んだ後、まずしゅーへいを辻堂駅まで送り、残る2人をふじわら邸まで送り、結局帰ってきたのは午前2時だった。20時間以上、確実に運転していた。1日でこんなに運転したのは、もちろん初めてであった。

 今回の旅は、普通に考えれば、はっきりいってかなり無茶だった。でも、こんな無茶なことができる機会と場があって、本当によかった、と思った。なんだかんかで相当楽しかったしね。また、みんなでこういった無茶なことをやってみたいもんだ。

 ギタークラブが、これからも、こういった無茶なことを、平気でできる場であり続けることを願う。





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